別れた旦那のこと~次女妊娠~



そんな中、第2子の妊娠は思いも寄らない事だった。実際身に覚えもない(笑)。
2週間遅れてやっと来たと思った生理が2週間止まらない。・・・何か悪い病気か?!と思って病院に行ったら妊娠だった。つまり出血は生理ではなく切迫流産だった。診察後とりあえず出血も止まりかけてるから大丈夫でしょうと言われて家に帰って、まぁ旦那には夜帰ってきてから言えばいいやと思って夕飯の用意してたら股にイヤな感触。慌ててトイレに駆け込むと大量出血。病院に電話したら『すぐ来てください、多分入院してもらう事になりますよ』と言われたんで旦那に電話して『何か妊娠しとって出血しとるから今から病院行くけん。入院になるかもしれんから仕事終わったらなほ迎えに来て』と言うと『・・・は?誰が妊娠??』とか言われたし。
診察してもらったらやはりヤバイ状態で、即刻入院になった。旦那の実家に電話してなほを預かってくれるよう頼んで旦那が来るのを待って、夜中にやっと来た旦那になほを渡してそこから結局3週間入院した。
入院中は辛かった。持続点滴をつけられてトイレ歩行しか許されてなくて、自分では洗濯ができないのに旦那も姑もなかなか来てくれない。出血してるから下着もパジャマもすぐ血で汚れる。持って帰ってもらった洗濯物は持って来てもらわないと意味を成さないのにとにかく来てくれない。
当時妊娠6ヶ月だった京都に住む姉が1歳10ヶ月の長男を連れてわざわざ新幹線でお見舞いに来てくれた。私は何も言ってなかったのに『アンタの事やけん、何も言えんと着る物に困ってるんやない?』とパジャマを買ってきてくれた。・・・今思い出しても涙が出る。私が生まれてこの方、どんなプレゼントよりも嬉しかったもらい物である。きっとこの先一生、あのパジャマより嬉しいモノはないと思ってる。病院のベッド脇のカーテンからふと覗いたベビーカーに乗った甥の顔、あれ?と思った直後に覗いた姉の泣きそうな笑顔と大きなお腹、差し出されたパジャマと私の大好物の桜餅、一生忘れない。お姉ちゃんありがとう。
離れて暮らしていても、何も言わなくても実の姉なら分かってくれる事が、頼りにしたい旦那や姑には分かってもらえない事が余計悲しかった。
結局洗濯物の事は、旦那に電話して『洗濯して』ってやっとの思いで言ったら『おかんに言えや』と言われて、電話口で号泣しながら『だってなほ預かってもらっとるだけで申し訳ないのに洗濯までこっちから言えん!!血も付いとるし。アンタがしてや~!!』と訴えたら『分かった分かった、夕方行くけん』と言われて病室で待ってたら、来たのは義妹だった。『お兄ちゃんに電話もらって~。何?洗濯物あるん?』って。ホント、死にたかった。
そんなこんなで退院が決まって、旦那に迎えを頼んだら『仕事は休めん』と言われて、とりあえず朝イチで来てもらって荷物だけ持って帰ってもらって午後から1人でタクシーで帰った。家に入ると3週間1度も掃除されてない部屋に3週間分の新聞と3週間分のビールの缶が散乱していて、3週間1度も出されてないゴミと1度も洗われてない食器が流し台の中でカビて異臭を放っていた。・・・つわりが無くて本当に良かった。泣きながら部屋を掃除して夕方泣きながら旦那の実家に長女を迎えに行く。
姑は第一声『良かったなぁ、治って』と言った。イヤ病気が治っておしまい、なワケじゃなくてこれから大事にお腹の子を育てないといけないんですけど??という言葉を飲み込んだ私を玄関で待たせたまま、半乾きの子供の服を袋に詰めながら『これ乾いてないけん、家帰ってもっかい干し直してな』と言い、『もう夕方じゃけんな、はよ帰って夕飯の用意もあるじゃろう』と言った。
後日友達の家に行った時、友達の姑に『お腹の子、良かったねぇ、これから大変だけど大事にして元気な赤ちゃん産んでね』と言われた時、嬉しくて悲しかった。


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